一般財団法人 飛騨福来心理学研究所

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福来友吉博士 紹介

念写発見当時の福来友吉博士

 念写発見頃の福来友吉博士
(1869.11.3~1952.3.13)

福来友吉(ふくらい ともきち)博士

福来友吉博士は明治2年(1869)飛騨に生まれ、東京帝国大学哲学科を卒業後、同大学院にて変態心理学(~催眠心理学)を研究し文学博士となり、助教授に進まれました。

 

明治43年(1910)、透視の研究中に、精神力の感光現象(念写)を発見されました。

 

心の中に思い浮かべている観念をX線も通さぬ鉄の箱に密閉した写真用乾板に焼き付ける実験に成功したものの、唯物万能時代の学者の認めるところとならず、東京帝大助教授を追放されました。

 

その後、高野山に入り高野山大学教授を勤めつつ「心霊と神秘世界」その他多数の著書を残し、昭和27年(1952)に仙台で逝去されました。

念写の研究はまさに神通力の解明です。

 

福来博士は希有の神通力者三田光一氏とすばらしい実験に成功されましたが、その内容を自然科学や哲学で論証する仕事は未完のまま「仕事を残して逝くは残念」と涙を流され、「福来友吉二世生まる」と三回叫んでこの世を去られました。

 

念写こそまさに神通力と科学の接点として、神通力と科学が初めて合体して歴史に登場してきたものです。

この念写の研究こそ、心とは何か、魂とは何か、死後に霊が在るか否か、等々の研究の足掛かりとなるものです。

更に哲学、自然科学に大革命を引き起こすものになっていくのです。

大阪時代の福来友吉博士

大阪の桜井にある福来邸における福来友吉博士
(山本健造著『念写とDr.福来』福来出版から引用)

宣真(せんしん)女学校初代校長に迎えられる

 大阪の箕面(みのう)町郊外の槙林(まきばやし)の中に女学校2年生の絞殺死体が発見され、子女をもつ世の人々は恐怖のどん底に突き落とされました。

 

「遠くに通わせるのは危険だ。近くに女学校が欲しい。」の声が高まり、高野山管長や地元の真言宗僧侶達が中心となって活動し、昭和10年3月開校の運びとなったのが宣真(せんしん)女学校です。

 

弘法大師を尊敬している福来博士は最も適当な人だと認めた高野山が、福来博士を宣真女学校初代校長に迎えたのでした。

(山本健造著『念写とDr.福来』福来出版から抜粋)

高山市城山公園内の福来記念館

福来博士記念館全体

高山市城山公園内の福来記念館

福来博士記念館正面

 

福来博士記念館 (高山市城山公園=陣屋近く)

念写発見者として世界的に有名な心理学者、文学博士・福来友吉先生の偉業を讃えて、荒井寅吉氏、田中久雄氏、山本健造が中心となり昭和31年、高山市城山公園に建設したものです。

 

現在は、説明パネルを小規模ながら陳列しています。

 

一般財団法人飛騨福来心理学研究所に所属し、管理を城山照蓮寺に依頼しています。

 

* 福来博士記念館が閉館の場合は、福来記念・山本資料館へどうぞ

福来記念・山本資料館

福来記念・山本資料館 (国府町八日町・当研究所隣接)

平成22年4月21日より開館

福来友吉博士の念写実験に使用した道具や著作及び博士の愛用品など約100点を展示。

 

また、山本健造博士の研究した六次元論の他、人生の前半を絵巻物語風に紹介しています。

 

約120点を展示。