一般財団法人 飛騨福来心理学研究所

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各地に残る「ひだ」の地名

稗田阿禮(ひだのあれい)は飛騨の人

『古事記』の語部(かたりべ)稗田阿禮は飛騨の楢谷(ならだに)に2千数百年程前に住んでいましたが、今は子孫の阿禮清一(あれいせいいち)氏が近くの三日町に健在です。
飛騨王朝の遷都後奈良時代には、飛騨の中心地と美濃の中間の峠口の楢谷に住み、都と飛騨の往来役人の宿所だったと推定されます。

 

夜話の物語を旧辞(ふるつことば=昔の形象文字)で書いていたので、都に招かれて語部となり、大野安麿が漢字でその音(おん)を写したのが『古事記』です。
「ひえだ」でなくて「ひだ」と読むのが本当なのです。

 

飛騨は稗田、飛田、日田、日高、比田、慕田、肥田、斐太、疋田、日多、飛駄、脛田、飛弾などと書かれて奈良や、伊勢に降りた人々が地名にその名を残しています。
奈良には乗鞍岳や丹生川の名まで移されています。

 

原著者=山本健造/編集者=山本貴美子『日本のルーツ飛騨』福来出版から引用

奈良県橿原市の飛騨町

畝傍山(うねびやま)のふもとの橿原神宮は神武天皇が大和朝廷を開かれた場所です。
そのすぐ傍に「飛騨」という地名が残っているのは飛騨と大和朝廷の関係を物語ってはいないだろうか。